Vol.10 ダメ出し
感情をコントロールすることは、本当に難しい。とくに怒りという感情。一度カッとなってしまうと、気が済むまで相手に辛らつな言葉を投げつけたくなる。そしてそれまで積み上げてきたものを、一瞬で台無しにしたりする。そんなことをつくづくと実感したのは、マサキからの自分勝手な電話を切って、しばらく頭を冷やしてから打ち合わせに戻ったときだった。
「友部さん。遅かったねえ」
前川さんが会議室に戻ってきたわたしを見て、いつもの穏やかな笑顔を浮かべながら、小さいけどよく通る声で言った。前川さんは、いつだって紳士的だ。イベントの現場ではさまざまな予期せぬアクシデントが起こるが、これまで前川さんが声を荒げているところなど見たことがない。
「すいません。どこまですすみましたか?」
そう言って着席しながら会議室の様子をみると、どうやらあまり話は進展していないようだった。やはりクオリティを維持しつつ予算だけ下げるなんてことは、そう簡単にできることではないのだ。わたしは、さきほどのマサキとの会話を忘れて、この打ち合わせに集中するために、携帯の電源をオフにした。
するとケイスケが、わたしが戻ってくるのを待っていたかのように、なにやら資料の束をとりだし机の上に広げた。

「皆さん、これを見ていただけますか」
一番上に置かれた資料には、昨年の同イベントにかかった費用の細かい内訳が記されており、いくつかの項目に赤くマーカーがひかれていた。ケイスケがその部分を指をさしながら、ハキハキと言った。
「ボクはここに注目しました」
それは、イベントにはかかせない音響や照明、舞台設営に関わる外注業者への支払い部分だった。どの業者ともうちの会社とは長い付き合いで、数々のイベントを一緒に手がけてきている。頑固で職人気質、そして経験豊富な、いわば現場のプロたちで、これまで彼らの機転で助けられた場面が何度もあった。
「いろいろ調べたんですけど・・」
ケイスケはそう言って立ち上がると、今度は別の資料をひろげはじめた。手にとってみるとそれはネットで検索したらしい、その他多くの業者の料金表をプリントしたものだった。わたしはイヤな予感がした。
「もっと安い料金で請け負ってくれる業者がこんなにあったんです」
予感は的中。
「へーすごい。よくこんなに見つけられたね。しかも結構実績のある会社ばかりじゃない」
アヤコちゃんが料金表を見ながら感心したように言うと、ケイスケが得意げな表情を浮かべた。本気で自分がいい提案をしていると思っているのだ。相変わらず考え方があまい。わたしはこの仕事がどういうものか、ちっともわかっていないケイスケに、イライラとしてきた。
「例えば音響をこのA社、そして照明をこのB社に発注すれば、それだけで外注費用の40%はおさえられます。なので去年のイベントと内容はまったく同じでも、クオリティは維持できることになり...」
「ちょっと待って」
わからなければ、きちんと言ってやらなくてはいけない。それは先輩としての使命でもある。

説明の途中で言葉をさえぎられたケイスケは、え?という顔で前のめりの姿勢のままわたしを見た。
「ケイスケ君は、社長に憧れてるのよね」
「あ、はい。そうですけど」
「だったらこういう仕事の仕方は無いんじゃないかしら」
わたしの言葉の中に怒気が含まれているのを感じたのか、ケイスケは直立不動になり、アヤコちゃんが緊張した顔でこちらを見た。
「・・どういうことですか?」
小さい声でケイスケが聞いた。
「あなたが今言ったことは、創造性のかけらもない人間がせいぜい考えつくレベルってことよ」
わたしは、持っていたプリント用紙を、ばさりと机の上に放り投げた。
「予算がありません、じゃあ外注先を安いところに変えましょうって、それで本当にいいと思っているの?今までさんざんお世話になったスタッフを切るだなんて。まったく。あなたの憧れている社長だったら、絶対にそんな短絡的な考え方はしないわよ」
一度灯ってしまった怒りの炎は、もはやおさえることができなかった。それどころか、さきほど心に閉まったマサキへの怒りの感情とつながり増大して、次から次へとケイスケへのダメ出しの言葉をはきださせた。
「大事なのは、このイベントで一体なにを伝えるかということじゃないの?体裁だけ整えて、はい、安くできましたっていっても、中身がなければなんにもならないのよ。どんな内容だったらクライアントは喜んでくれるのか、もっと相手の立場になってものを考えなさいよ」
相手の立場になって。それはマサキにたいしてぶつけたい言葉でもだった。わたしの友達と関係をもっておいて、そのことを不快に思うわたしの気持ちをわかろうともしないで、いつもの距離にいてほしいと自分勝手なことばかり言うマサキに。
本当に男って、迂闊で子供で単純で無神経でどうしようもない。会議室は静まり返り、わたしに叱責されたケイスケも、この提案に同調していたアヤコちゃんも暗い顔で下を向いた。
そのとき、前川さんがポツリと言った。
「確かに。言っていることは正しいよ」と。
わたしはおもわず前川さんのほうを見た。自分がとんでもないことをしてしまったことに気が付いたのだ。確かにわたしが言ったことは正しい。だけど、こんなのはなんの問題解決にもならないただのダメ出しで、しかも私情がからんだ八つ当たりに近い。そしてむやみに二人のスタッフのやる気を削いでしまったのだ。
前川さんは、そんなわたしの心の動きを察知したのか、小さくうなずいた。そして、それ以上はもう何も言わなかった。わたしは途端に消え入りたい気持ちになった。
自分勝手で、相手の立場になってものを考えていないのはわたしのほうだった。

その日の深夜。わたしは今回のイベントに関わるほとんどの資料を家に持ち帰ると、それらを部屋の真ん中に広げて考えこんでいた。
自分の間違いに気付いたら素直に反省し、努力でその失敗を取り返す。それが仕事に生きる大人の女性としての正しい姿勢だ。そう思ったわたしは、クライアントが納得できるような見積もりと、決してクオリティを下げないイベントの内容の提案書を自分でつくってみせると決心したのだ。
だが予算をおさえるためにはどうしたらいいか、これまでのイベントの事例などをさんざん見比べてみたが、そう簡単にいいアイデアは浮かんでこなかった。今回のイベントの規模は約600人。それだけの人数をひとつの会場に集めて心をひとつにさせるには、やはり音響や視覚効果を使った派手や演出や、インパクトのある映像はどうしても必要不可欠になり、それなりの予算がかかってしまうのだ。
そこで会場を去年よりもランクを下げたらどうだろうかと思いつき、今回予定している以外の会場のパンフレットを手にとったところで、はたと気が付いた。体裁だけ整えても中身がなければなにもならないと偉そうに言っていたのは自分ではなかったのか。これではケイスケがやろうとしていたことと同じだ、と。わたしは自分に失望し、そのままフローリングの床に寝転ぶと、たくさんの資料の上に足を投げ出した。
見上げた天井に、今日わたしに叱責されたときの、ケイスケの傷ついた顔を思い浮かべてみた。きっとケイスケも、今のわたしのようにいろいろと考えた結果、外注費用を低く抑えることを思いついたのではないだろうか。なのにわたしは、そんなケイスケのみえない努力を考えようともせずに、怒りという感情にまかせ一方的にひどいダメ出しをしてしまった。
罪悪感で胸が痛んだ。そしてこの痛みが、今後のわたしを成長させてくれることを願い、心の中でケイスケに謝った。
ふと、ケイスケはこんなわたしのことを、まだ少しでも好きだと思ってくれているのだろうかと考えた。
もしかして、今日で完全に嫌われてしまったかもしれない。さんざんケイスケからのアプローチをうっとうしいと思っていたくせに、わたしから心が離れてしまったかと思うと、それはそれで惜しい気がした。そして、ますますわたしは失望した。なぜならその思いは、マサキのわたしにたいする自分勝手な要求と似ていたからだ。
わたしはため息をつくと、寝転んだまま壁にかかった時計を見た。
すでに夜中の3時半。ただ落ち込んでいても、いたずらに時間は過ぎて行くだけだ。気持ちを切り替えようと体を起こすと、床においた右手のすぐ先にあった資料を手にとってみた。それは今回のイベントを行う会社の社内報だった。
少しでも提案書作成のためのヒントがないだろうかと、パラパラとページをめくっていると、あるページに目が止まった。それは、今回最優秀営業成績者として表彰される予定の、女性社員のインタビュー記事だった。そのなかにあったひとつの見出しがわたしをひきつけた。
「わたしは昔から父親のことが本当に嫌いでした」
どうして彼女は、こんなことを言ったのだろうかと不思議に思い、わたしはインタビュー記事を読み進めた。そしてもう一度考えた。相手の立場になって考えるということは、どういうことかということを。
つづく...
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