Vol.11 心の変化
「ね。これ見てくれる?」
次の日、わたしは出社したばかりのアヤコちゃんをつかまえると、社内報のインタビューページを開いて見せた。アヤコちゃんはコートを脱ごうとした手を止めて、差し出された記事を受けとると不思議そうな顔をした。
「これがどうかしたんですか?」
なぜ唐突にこの記事を見せられたのか、わからなかったようだ。
「これって、杉浦さんよ。ほら、今度のイベントで成績優秀者として表彰される予定の」
そう言われてやっと理解したアヤコちゃんは、あらためてじっくりと中身を読みすすめた。
彼女の名前は杉浦順子さん。年齢は41歳。前年度の契約数が全国でトップの成績をおさめた生命保険会社のセールスレディだ。
その彼女のインタビュー記事の中で見つけた「わたしは昔から父親のことが本当に嫌いでした」という一文に、わたしはひきつけられた。というのも、言葉そのものの意味よりも、そのようなことを社内報のインタビューで語った彼女の心情に、なにかを感じたのだ。だから、彼女になったつもりで考えてみた。本当に言いたいことはなんなのか、と。
「自分の親のことを嫌いだなんて思うことは、とてもつらいことだと思います」
アヤコちゃんは読み終えると、少し神妙な顔をして感想を言った。
「でもその気持ちを乗り越えることができて、彼女よかったですよね」
そう、そこまでなら誰でも考えることができる。でもそれは、自分の目から相手を見た場合のたんなる批評にすぎない。そしてきっとわたしも、相手の立場になって考えるという視点に気付かなければ、そこまでの感想しか出てこなかったはずだ。
「彼女は、本当に乗り越えたのかな」
「え?」
「わたしには、そうは思えないの。確かに、大人になってから親への感謝の気持ちが芽生えた、とは書いてる。でも、ここ見て」
そう言って、わたしが彼女の言葉の中で、一番気になったところを指差した。
『まだ、お父さんにありがとうって伝えてないんですけどね』
それは記事の途中に、おまけのように付け加えられていた言葉だった。だがその中にこそ、彼女の本心が表れているように思えたのだ。

わたしは、その日のうちに社内のプロジェクトメンバーに集まってもらった。
「一部は、セミナーと懇親会、そして二部は表彰式を行い、最後はエンターテイメントショーで締めくくる、これが去年のプログラムです」
昨日の失態を挽回したいという思いもあり、説明する声に熱がこもった。前川さんもアヤコちゃんも、そしてとくにケイスケは真剣な顔で聞いていた。
「セミナーと懇親会は、この会社の要望でもあるため、プログラムからはずすことはできません。そこで、最後のエンターテイメントショーにかわる新しい企画を考えました」
エンターテイメントショーとは、イベントを盛り上げるために行われる、著名な歌手やアーティストによるライブショーのことで、ギャラだけで予算のかなりの部分をしめる。そこを削ることができれば、予算削減につながる。
「だけどショーがないと、ドラマティックなエンディングは難しくなるよ」
イベントに熟知している前川さんが冷静に指摘する。その言葉をうけて、わたしが今回考えた企画のタイトルを、ホワイトボードに力強く書いた。
『感謝の贈り物』
それこそが、彼女の気持ちになったときにわかったことだった。きっと彼女は、ずっと嫌いだと思っていた父親に、感謝の気持ちを贈りたいんじゃないのだろうか。そしてその思いは、今回のイベントの中できっとカタチにできる。それは根拠のない確信だった。わたしはその確信を確認するように、この企画に思いつくまでにいたった経緯や、実際にどうやってイベントのひとつのプログラムとして実現させるかについて、たっぷり時間をかけて三人に説明した。
「じゃあその企画の内容を、クライアントに見せる提案書として、数日中にまとめてくれるかな」
最初は、半信半疑といった様子で聞いていた前川さんも、わたしの熱意が伝わったのかついにはそう言った。それは、この企画案がこのプロジェクトメンバーに認められたことを意味していた。わたしは嬉しくなって、心の中でガッツポーズをとった。

打ち合わせが終わり資料の後片付けをしていると、ホワイトボードを消していたケイスケと、なんとなく二人にきりになった。わたしは昨日のことについて謝らなくてはと思いながらも、きっかけがつかめずに様子をうかがっていると、ケイスケのほうが先に口をひらいた。
「昨日はすいませんでした」
言おうとしたことを先に言われてしまい、わたしは少しとまどった。
「昨日リコさんに言われたことを、よく考えてみたんです。確かに僕の考えは、短絡的で浅かったと思いました。はっきりと指摘してくれてありがとうございます」
そう言うと、ケイスケはパッと頭をさげた。その潔さに、気圧されて動揺しながらも、
「いいえ、あの、こちらこそ感情的になってしまってごめんなさい」
と、どうにか伝えた。気まずさから下を向いたままでいると、空気がふっと和んだのを感じたので顔をあげてみると、ケイスケがくったくのない笑みを浮かべていた。つられてわたしも笑った。
「『感謝の贈り物』、すごくいいアイデアだと思います。ちょっと感動しました」
このところ精神的な余裕がなかったため、人にたいして肯定的な感情をもつことを忘れていたが、ふと思い出した。そうだ。ケイスケのいいところは、素直なところだった。
「どうもありがとう」
わたしもケイスケの真似をして、素直にお礼を言った。
「この企画が実現できるよう、頑張りましょうね。僕に出来ることがあれば、なんでも言ってください」
そんなことを簡単に宣言してしまうこところが相変わらずだと思いつつ、
「わかった、そうする。頼りにしてるわよ」
と言うと、ケイスケは以前わたしによく見せていた恋をしているような表情で、照れくさそうに笑った。すっかり嫌われたかと思っていた分、それはなんだか嬉しかった。
たんなる失敗だと思っていた昨日の出来事は、わたしに反省をうながし、ケイスケのやる気を喚起し、そしてこの一時、恋のはじめのような雰囲気をもたらした。一見ネガティブにしか見えないことも、よい結果をうみだすこともある。それは新たな発見だった。

それから数日、家に帰ってからもゆっくり休むこともできず、パソコンに向かって提案書作りに没頭する日が続いた。そして社内レビューを前日に控えた夜おそく、やっと提案書が完成した。
わたしは達成感につつまれながら、紙面で最終確認をするために、ファイルメニューのプリントを選ぶと勢いよくエンターを押した。プリントアウトがすべて終わるまでにコーヒーでもいれようと思い、キッチンに行きヤカンに火をかけると、食器棚からマグカップをとった。
食器棚のトビラを閉めると、そのガラス窓にわたしの顔がうつった。寝不足のせいで目の下にくまができて、肌もくすんでいるようだ。これはひどいな、と独り言を言いながら、わたしはいたわるように自分の顔に手をあてると、ふいに思い出してしまった。それはシンイチのこと。
シンイチもよく、会社でこなしきれなかった仕事を家にもちかえっては、パソコンで書類をつくっていた。そして合間にコーヒーを飲み、つかれた顔をしてはときおりため息をついていた。
当時を思い返し、わたしは暗澹とした気持ちになった。そのときのわたしは、シンイチの身体のことが心配なのと、自分のことをかまってもらえない寂しさに我慢できず、「わたしといるときは仕事のことは忘れて」とか「二人の時間をもっと大切にして」と、ずいぶんと自分勝手な要求をしていたのだ。そしてそれは本当に、彼女としての正しい主張だと思っていた。
優しいシンイチは、その度に仕事を中断してくれていた。だけど、仕事におわれて疲れきっている今のわたしにはわかる。そんな要求は重くてうっとうしいだけだということが。あのときシンイチは本当は仕事に集中したかったに違いない。どうして彼女なのに、相手の気持ちを思いやることができなかったんだろう。そしてそんなことを、今更になって気付くなんて。
わたしは振り向いてほしいから、という気持ちからではなく、本心からシンイチに謝りたくなった。沈黙をやぶるとか関係ない。あの時はごめんなさい、あなたのことを支えることができずにわがままばかり言って、とメールを送りたい。だけど、この謝罪したいという気持ちも、きっとわたしのエゴなんだろう。わたしはシンイチの立場になって考えてみた。
今は、もう新しい彼女がいる。付き合って間もないからきっとラブラブだろうし、この間その彼女からかかってきた電話の内容が本当だとしたら、近いうちに結婚でもしようと考えているのだろう。そんなところへ、元の彼女、つまりわたしから過去を謝罪するメールがきても、迷惑なだけにちがいない。もしもわたしがシンイチだったら、わたしにたいしてどう思うか・・。
それはとても悲しいことだが、「オレのことは忘れて幸せになってくれ」だった。
過去に戻ることができないわたしに出来ることは、忘れてあげることだけだなんて。一緒に過ごした2年間はいったいなんだったんだろう。忘れるために付き合ったわけじゃないのに。そう思うとせつなくて泣きそうになったが、今は感傷にひたっている場合じゃないと思い直す。
わたしはいれたばかりのコーヒーを持ってリビングに戻り、すでに出力し終わったプリントを手にとると、過去ではなく現在に向き合った。
このころからわたしは、シンイチのことを思い出して泣くことが少なくなっていった。
つづく...
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