Vol.12 望む距離
わたしが考えた企画「感謝の贈り物」は、実現に向けてまだいくつかの検討要素が残っていた。社内レビューでも、提案書をクライアントに提出する日までに、その部分を改善してくるようにと前川さんに指摘された。
つまりそれは、この提案書が社内レベルでは認められたということで、わたしのここ数日の努力がひとまずは報われる結果となった。
「これ、杉浦さんのお父さんに当日会場まできてもらうところが大変ですよね」
社内レビューが終わったあとの会議室で、アヤコちゃんがわたしがつくった提案書を見ながら言った。もちろんそこが一番の問題であることはわたしもわかっている。
「きっと大丈夫よ。わたしが杉浦さんの実家に行って直接話をしてみる」
いいものをつくるには、労力を惜しんでいてははじまらない。わたしは自分のエネルギーを仕事にそそぐ決意をしていた。
「万が一来られなくなったときのことを考えて、VTRでコメントをとっておくってのはどうですか?」
同じく会議室に残っていたケイスケが提案した。
「そうね。せっかく実家まで行くんだもの。出来ることはなんでもしてみる」
ひとつの目的に向かって、プロジェクトチームが団結していっているのを感じた。いい傾向だと思う。
「ねえ、リコさん。せっかくだからケイスケ君も同行させたら?コメントのとり方や交渉の仕方について、きっと勉強になるんじゃないかしら」
アヤコちゃんが、事も無げにそう言った。杉浦さんの実家は広島にある。すんなりと話がまとまらない場合、日帰りではすまないかもしれない。ケイスケも同じことを考えているらしく、わかりやすく耳を赤くして目を泳がせた。だけどそんなところを見ても、前ほどイヤな感じはしなかった。
「そうね。必要があったら検討してみるわ」
それでも、実際同行させるかどうかをこの場で決めなかったのは、やっぱりわたしの中で仕事は仕事だという意識があったからだ。

その日、仕事が終わってわたしがエレベーターに乗り込むと、ちょうど同じタイミングでケイスケが乗って来た。
「お疲れさまです」
と、笑顔でケイスケが言った。わたしも笑顔で、お疲れさま、と言った。そしてエレベーターのドアが締まると、わたしたちはなんとなく所在なげに階数を表示されているあたりを見上げた。
「あの」
エレベーター内の特有の、気まずい沈黙を先にやぶったのはケイスケだった。
「ボクを必要としてください」
冷静さを装ったが、確実に心臓が大きくはねた。
「いろいろ勉強したいんです。それにボク、学生のころサークルで映画を撮っていたんです。だからカメラの扱い、結構上手いですよ」
そう言って、ケイスケは無邪気にカメラを構えるポーズをとった。わたしがおもわず苦笑をしたと同時に、エレベーターは一階に到着した。

建物の外に出ると、わたしたちは自然に駅まで一緒に歩き出した。
「リコ」
ふいに聞き覚えのある声がして振り向くと、帰宅をいそぐ人の流れの中から、マサキが手をあげ近づいてくるのが見えた。
「なんで・・」
こんなところにいるの。突然のことにビックリして、後半は言葉にならなかった。マサキは驚いたわたしを見て、いたずらが成功した子供のように満足そうに笑った。
「よ!仕事終わったんだろ。どう。これから飯でも食いにいかない?」
なれなれしいマサキを、ケイスケは不審そうな目で見た。マサキはそんなケイスケにいっさい頓着せず、わたしの腕をつかむとそのまま歩き出そうとした。
「ちょっと、離してよ。一体なんなの、いきなり会社まで来て」
わたしは、つかまれた腕をふりほどいて抗議した。
「だって、電話しても一方的に切られるし、メールも無視。だったらもう来るしかないじゃないか」
マサキは当然だろ、という顔をして首をすくめた。
「あきれた。本当にどこまで自分勝手なの」
「勝手はどっちだよ。わけのわからない理由で怒ったりして、リコらしくない」
まったく悪びれる様子のないマサキに、わたしはお互いの考えのずれを感じた。わたしは、会ったその日にわたしの友達と関係をもってしまうような男とはもう関わりたくないと強く思っているのに、その気持ちがまったく伝わっていないどころか、マサキから見ればわたしのほうが理屈の通らない態度をしているらしいのだ。
「大丈夫ですか?この方は誰ですか?」
ケイスケが、わたしをかばうように二人のあいだに割って入った。マサキはすぐにピンときたようで、いじわるそうな笑みを浮かべながらわたしに顔を近づけると、ケイスケに聞こえないように小さい声で言った。
「もしかして例の年下くん?」
「ちょっと、やめてよ」
わたしは怒りながらも、同じくケイスケに聞こえないように小さな声で答えた。
くやしいが付き合いが長い分、マサキにはわたしの考えていることがすぐにわかったようだ。この彼が以前電話で言っていた年下の彼で、でも今はそのことを話題にしてほしくないと思っていることを。
マサキはわたしに了解した、という表情をみせたあと、親しげにケイスケの肩に手を置くと、
「心配すんなって。オレはリコの昔からの知り合いで、別にあやしいもんじゃないから。わるいけどこれから二人で話があるから、君はお引き取り願えるかな」
と、おどけるように言った。ケイスケは不快の念にまゆをひそめながら、真意を確かめるようにわたしのほうを見た。
わたしはどうしたら二人とも納得させてこの場をうまくおさめられるか考えようとして、すぐにそんな努力は放棄した。なぜならマサキもケイスケも、わたしの彼氏ではないのだ。なにを関係のない男たちに、思い煩わされているのか、そう思うとこの状況がバカらしく感じた。

「確かにそう。彼はわたしの昔からの知り合い」
と、わたしはケイスケに言った。そして、
「でもマサキ。あなたの話を聞く気はないから」
ときっぱり言うと、かたくなな意志を込めてマサキを見据えた。
「なあ、リコ。こういうのはやめようって」
マサキが少し怒ったような顔になった。
「チサキと寝たことがそんなに気にさわったんなら・・」
「やめてよ。そんなの興味ない。勝手にしたらいいじゃない」
と、ぴしゃりと言った。ケイスケは事の成り行きを黙って見守っている。
「興味ないとか言うなよ。オレたち友達じゃん」
自信家なマサキらしくない、傷ついたような声を出した。だけどわたしは忘れてはいない。マサキにはしっかりと付き合っている彼女がいることを。
「な?とにかく寒いからどっか店いこう。そこでゆっくり話そう」
それでも懲りずに言葉でコントロールしようとするマサキがなんだか滑稽に思えた。よく見るとマサキの頬が寒さで紅潮している。きっとわたしを外でずっと待っていたにちがいない。わたしはおもむろに手袋をとると、ある確信をもってマサキの頬を両手でつつんだ。案の定、その頬は氷のように冷たくなっていた。
「こんなに冷たくなって。かわいそう」
ついでに愛おしいものでも扱うように、風に乱れたマサキの前髪を整えると、マサキは困惑した表情をうかべ身をかたくした。自分が望む以上の距離にわたしがきたから、警戒しているのだ。わたしが離れると近づいて、わたしから近づくと離れる。ただそれだけ。
わたしは自分勝手な昔からの男友達に背をむけ、駅に向かって歩き出した。少ししてケイスケが小走りでわたしに追いつき、何も言わずに隣りを一緒に歩き出した。冬の冷たい風が、コートのすそを揺らす。マサキはもう追いかけてこなかった。

その日、家に帰ると、しばらく書類づくりにおわれ寝不足の日々が続いていたわたしは、マサキのことも仕事のことも考えるのをやめてすぐに寝てしまった。枕元においたアロマの香りが、ここちよい深い眠りを誘う。そしてわたしは不思議な夢を見た。それは幼いころの記憶の断片からはじまった。
幼稚園生くらいのわたしがバスに乗って不安そうに窓の外を見つめている。行き先はわからない。というのも、母親が目をはなした隙にわたしは衝動的にバスにのってしまったのだ。
どこで降りればいいのかわからず、ただ遠くに運ばれていた。これは実際の体験で、本当の結末はわたしの様子に気付いた運転手が声をかけてくれて、無事に家に帰ることができた。だけど、夢の中では違った。
今にも泣きそうな幼いわたしの前に、ふと手が差し伸べられた。それは男の人のようだった。わたしは誰かもわからないその手をつかんだ。不思議なことに、この人についていけば大丈夫という安心感があったのだ。
『ほら、ここで降りるよ』
わたしは背伸びをして、わたしを導いてくれる男の人の顔を見ようとした。バスが止まりドアが開くと、外からはいる光が男の人を黒いシルエットに浮かびあがらせた。わたしはそのまぶしさに目を細めて言った。あなたは誰?
そこで目がさめた。気が付くとカーテンの隙間から漏れる朝の光が顔にあたっており、夢のつづきのまま目を細めた。なにかを暗示させるような意味深な夢だった。わたしは寝起きでぼおっとした頭のまま、時間を確認しようと近くに置いていた携帯に手をのばして、一通のメールが届いているのに気が付いた。見るとそれはシンイチからだった。
『いまから電話してもいい?』
一瞬まだ夢の続きを見ているのだろうかと思った。メールが届いた時間を確認すると、昨夜の11時25分。それはすでにわたしが眠りについていた時間だった。
つづく...
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