Vol.15 想いの領域
もしもわたしの頭の中に、かつてシンイチと付き合っていたときにつくりあげてしまったシンイチへの想いの領域があるのだとすれば、それは時間がたてば消えるものではなく、あるいは消えるまでにもっともっと時間が必要だったはずで、でもそれは、シンイチと電話で話をしてしまったことにより、すでにあったものよりもさらに大きくなり強力なちからでわたしの思考回路を支配するようになってしまった。
そして、少しずつわたしの中でその範囲を広げながら、今起きている結果も、これから起きるであろう結果も、すべてが必然で、痛みも悲しみを受け入れられるに違いない、乗り越えられるに違いない、という根拠のない前向きな気持ちを沸き立たせていた。
それもすべて、もしかしたら復縁できるかもしれない、と淡い期待をいだいてしまっていることが原因で、一度電話で話しただけでそんなふうに思うわたしは、愚かで浅はかなのかもしれないけれど、そんなことどうでもいいと思えてしまうほど、もうすぐ手が届きそうだと思っているわたしが望む未来が、現実のものになるようにという祈りにも近い想いに夢中になっていた。
わたしと一緒にいたときには叶えられなかった夢を叶え、そのことを報告してきたシンイチ。別れという痛い経験を通して、自分のエゴをおしつけないことの大切さを学んだわたし。
まるで人生の脚本を書くかのように、今後の二人が歩んでいく道を指し示すことができるのならば、きっとこんなふうに物語を綴るにちがいない。
「つらい別れを経験して成長した二人は、お互いが本当に必要な存在だと気付き、そして再び共に人生を紡ぎだしていくことになった」と。

誰かひとりが完全に心の中にいる場合、それ以外の人はまったく入り込む余地がなくなってしまう。でもそれはきっと女の人なら、誰にでもおこりえることなんじゃないだろうか。
仕事中、今回のイベントで、外注先への予算面を担当しているケイスケが、意気揚々と仕事の成果を報告をしてきた。
「リコさん。このあいだ○○に行って、値段交渉してきたんですよ」
少し前まで、仕事にたいする取り組み方が変わってきたケイスケのことを、徐々に見直しはじめていたのに、シンイチへの恋愛回路が完全に復活してしまうと、また以前のように少々うっとうしさを感じるようになってしまった。
「そうしたら、最初は渋っていたんですけど、どうしてもこの企画でいきたいんですって説明したら、最終的には納得してくれたんです」
「へー。それはよかったわね」
「やっぱり、リコさんが考えた企画がいいからだと思います」
イキイキと目を輝かせ必要以上に熱く語るケイスケを見ながら、まっすぐに好意をよせてくれるケイスケのことを愛することができたら、きっと楽なのかもしれないとボンヤリと思う。なのにどうしてもそれは出来ず、わたしの気持ちはシンイチとの復縁だけを望んでいた。
「ところで、今週末、杉浦さんのお宅に伺う件なんですけど...」
わたしは、ボクもついていきます、という言葉をケイスケが言うまえにそれを遮り、
「あ、それはわたし一人で行ってくるから大丈夫」
と言うと、ケイスケはがっかりした顔をした。

シンイチと電話で話をした三日後、出張の前日の夜。わたしは、シンイチとのこれからを考えながら、一泊二日分の荷造りをしていた。
このあいだは電話で話すことができた。だけどその後は、どうやってシンイチとつながっていけばいいのだろうか。またシンイチから、なにかアクションがあるまで待っていたほうがいいのか、それとも、わたしのことを気にかけてくれているうちに、メールをしたほうがいいのか。もしメールをするとしたらどんな内容を?仕事について聞くとか?でも自分からあれこれ行動をおこしてしまうと、シンイチのテンションを落としてしまうことにならないだろうか。
考えすぎて思考がからまってきたとき、携帯が鳴った。それはマサキからだった。
『よ!今いい?』
「どうしたの?」
『いや、あれからどうなったか気になって。まったく、報告くらいしろよな』
わたしはそう言われるまで、マサキのアシストによってシンイチに電話ができたことをすっかり忘れていた。
「あ、ごめん。あのあと、電話してみたの。そしたら少しだけど、近況を聞くことができた」
『そっか。なんだって?』
「彼ね、自分の洋服のブランドを立ち上げたんだって。そのことを報告したかったみたい」
言いながら、わたしはそれがまるで自分のことのように誇らしく感じた。
「それはずっと前から彼の夢だったんだ。なんかすごいな、頑張ってるなって思っちゃった」
『はあ』
マサキが、空気のぬけたような声を出した。
『そんなすごいか?それ』
「なによ、すごいじゃない。自分で服をつくって売るなんて、誰にでもできることじゃないと思うけど」
『今やネットを使えば誰だってできるよ。大事なのはブランドとして成功するかどうか、売れるかどうかってことだろ』
「それはそうだけど」
マサキは、シンイチへの強烈な想いで麻痺したわたしを頭を、冷静にさせる言葉をつづけた。
『で、どうだったんだ?その服のデザインは。売れそうだったのか?』
「いや、見てないけど」
『は?なんで?オレがそいつだったら、写真でも送って自慢するけどな』
「だってそれは...」
言い返そうとして言葉につまった。確かに、報告してきただけで、あれから他にはなにも言ってこない。それは、シンイチはわたしに少しも執着していないことを意味していた。やっぱり、わたしはまだ、必要以上につながるには面倒な女だと思われているのだろうか。
『まあそう落ち込むなよ、ひさびさに飲みいこう。明日はあいてる?』
黙り込んだわたしを元気づけるためか、もともとそれが目的だったのか、はりきったような声でマサキが言った。
「明日はだめ。出張なの」
『えー。ほんとかよ。どこ行くんだよ』
「広島」
『例の年下くんも一緒か?』
「ううん。ケイスケは連れていかない。一人でいく」
『そっかそっか。広島ね』
と、マサキが妙に納得したように言った。そして、
『ケイスケっていうんだな、あの生意気な坊やは』
とも言った。だけど、マサキがケイスケのことを気にしたことも、マサキに飲みにいこうと誘われたことも、明日広島に一人でいくことも、全部、シンイチがわたしに興味がないという事実に比べたらどうでもよくなり、明日早いからと言ってマサキとの会話を終わらせた。

次の日。わたしは広島に向かうために、東京駅から新幹線にのりこむと、出発するまでのあいだ自分の指定席に座って、昨日の続きをあれこれと考えていた。シンイチはわたしのことをどう思っているんだろうか、と。
こうしてわたしはいっそうシンイチへの想いの領域を増大させるのだ。
しばらくして新幹線が動きだし、もやもやと晴れない気持ちのわたしをゆっくりと運んでいった。
土曜日の午前中の新幹線は家族連れが多く、あちこちから子供のはしゃぐ声が聞こえていた。そんな車内の陽気さを受け入れることもできず、かといって、ずっと沈んだままでいるとこの後の仕事にも影響が出そうな気がして、ちゅうぶらりんな心をもてあましてため息をついた。するとそのとき、わたしの空いていたとなりの席に誰かが座った気配がしたと思うと、その人物が親しげに話しかけてきた。
「おや、お嬢さん。元気がないですね」
聞き覚えのあるその声に、窓の外を見ていたわたしはいそいで振り返ると、そこにいたのはマサキで、そして驚くわたしに、
「あれ?リコじゃん。いやあ、偶然だなあ」
と悠然と言い放った。
つづく...
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