Vol.17 遠い記憶
●今月の社員インタビューは、2008年度顧客契約数第1位を達成された営業部門の杉浦順子さんです。まずはおめでとうございます。
ありがとうございます。保険の営業販売をさせてもらって6年になりますが、最初のころは本当にどうしたらいいかわからず、うまくいかないことばかりでよく落ち込んでいたんです。それが今、こうしてたくさんのお客様に会えることになるとは、夢にも思っていませんでした。本当に嬉しいです。
●6年でこれだけの実績を残されるようになるなんて、すごいですよね。なにか努力したことがあれば教えてください。
はい。実は営業販売をはじめた当初は、間違った努力をたくさんしていたんですよ。というのも、お客様にどうしたら商品のよさをわかってもらえるか、そればかり考えていたんです。だから、話し方や言い回しのテクニックを研究したり、商品説明のための資料をオリジナルでつくったり、それから暇さえあればお客様のところに足を運んだり。でも、そういう努力のわりには、契約自体はちっともとれなかったんですね。
だけどあるとき、気付いたんです。わたしは自分が伝えたいことを押し付けるばかりで、お客様がいったいなにをもとめているか、本当の意味で相手の立場になって考えていなかったことに。それからは、いわゆる営業トークはいっさいしませんでした。そのかわりお客様それぞれが、いったいどんな方なのか、どんな価値観をもってどんなことを考えていらっしゃるか、どんな人生を送ってこられたか、そのことだけに集中するようにしました。
●自分の話を聞いてもらうんではなく、まずお客様の話を聞くことにしたんですね
ええ、そうです。ただ「理解したい」という姿勢で必要以上は踏み込まず、お客様のお話だけを聞くようにしました。相手にたいして本気で興味をもつと、話を聞くだけということがつらくないんですよね。しばらくすると不思議なことに、だんだんとわたし自身についていろいろと聞いてくれるようになったんです。心を通わせることの大事さに、あらためて気付かされました。
それからは、話の流れで保険の話題が出たときだけ、商品の説明をさせていただきました。すでにお互いの間には信頼関係が生まれていますから、すんなりと聞いてくれるわけです。また契約に関しては、商品に心から共感をしてくれた方だけにさせていただきました。たまに勢いだけで契約しようとなさる方がいて、そういう場合はこちらから止めました。営業という視点からみると、ちょっともったいないんですけど(笑)やはり大事なのは、長い目でみた満足感ですから。
●相手の話を聞こうという姿勢に変わったきっかけは、なにかあったんですか?
とても個人的な話になっちゃうんですけど、わたしは父親の影響を強くうけて育ってきたんです。というのも、父親は昔かたぎの古い考えの人で、女は女らしく生きるべきだ、仕事なんかしないで家庭におさまることが一番だとずっと言われてきました。わたしは昔からそんな父親のことが本当に嫌いでした。だから反発することで、自分の生き方を見つけてきたようなところがあるんです。
お客様への姿勢を考えなおしたのも、そんな経験からでした。わたしがいくら一生懸命こちらの思いを伝えようとしても、それは父親のわたしに対する態度と同じで、押し付けでしかないんじゃないかって。だから、こんな言い方は変かもしれないんですけど、わたしが気付くことができたのも、ある意味父親のおかげではあるんですよね。
●杉浦さんにとっていろんな意味でお父様の存在が大きかったということですね
はい。また今回のことで、父親の本当の気持ちもわかったような気がするんです。営業という仕事をはじめたばかりのころのわたしは、自分が信じる商品をお勧めしたという思いで、ただがむしゃらでした。だからきっと父親も不器用ながら父親なりのやり方で、わたしのことを愛そうとしてくれていたんですよね。なのに反発ばかりして、その気持ちにこたえることができませんでした。
だけど、大人になってからは親への感謝の気持ちが芽生えてきてはいたんです。この歳になってもなかなかチャンスがなくて、お父さんにまだお礼を言っていないんですけどね。いつか、愛情をもってわたしを育ててくれてありがとうって素直に言える自分になれるよう、これからも成長しようと思っています。
●仕事を通じて、お客様に本当の満足感をもってもらうことの大切さや、お父様の愛情にも気付いたということですね。きっと、自分自身を成長させようという気持ちが今回の実績にもつながったのだと思います。杉浦さん、本日はとてもすてきなお話をありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。

「電話でお話したのは本当なんです。順子さんのことでちょっとお願いがあって」
「娘のことで?」
美津子さんの眉間のシワがより濃く刻まれた。わたしは素早く名刺を渡すと事情を説明した。
「はい。順子さんが、今働いている保険会社での営業成績が全国で1位になったので、今度、会社のイベントで表彰されるんです。わたしは、そのイベントの企画運営を担当しているんですが、その表彰式に正治さんにきてもらえないかとお願いしたんです」
美津子さんは少し警戒心がとけたような表情をみせると、
「それは無理です」と、さびしそうに言った。
「なぜですか?」
「主人はもうずっと体調がわるくて、東京までいくなんてとてもできません」
「そうですか。お電話では、お元気そうな様子だったんですけど」
「その電話の件ですが、本当にうちの主人だったんですか?」
「はい。確かに正治さんでした」
それを聞いて、美津子さんはなにかがしっくりいっていないようで、考え込んでしまった。
わたしは、この企画を考えたきっかけになった社内報をバッグからとりだし、杉浦順子さんのインタビューページを見せた。
「この順子さんのインタビュー記事を見て、今回の企画を思いついたんです。企画のタイトルは「感謝の贈り物」。当日、順子さんには内緒で正治さんにサプライズゲストとして登場していただき、そこでお互いこれまですれ違っていた思いを伝えあうことができれば、きっと素敵なイベントになるんじゃないかと思ったのですが...」
美津子さんは、玄関の上がりかまちに正座をすると、じっくりとインタビュー記事を読みはじめた。
じりじりとした時間が流れる。わたしは息をのんで美津子さんの反応を待った。

「娘は小さいころから父親とそりがあわなくて、衝突ばかりしていました」
美津子さんは読み終えた社内報をひざにおくと、ため息をついた。
「ここに書いてあるとおり、主人も頑固な性格だったんで、仕方ないといえば仕方ないんですけどね」
わたしはなんと言っていいかわからず、ただ見守った。
「主人の体調が悪くなってからは、電話はたくさんしてくれるんですけど、仕事のことはちっとも話さないんです。でもこんなことを考えていたんですね」
美津子さんがそう噛みしめるようにつぶやいた。
「正治さんはどこがお悪いんですか?」
と聞いてみた。
「もう主人もわたしも歳ですから、いつかくるものと覚悟してたんですが、まさか普段しっかりしている主人がさきになってしまうなんて想像もつきませんでしたよ。お医者さんには、中度の認知症だといわれました」
それを聞いてわたしは、そういえば先日、電話で話をしたときに正治さんが、「順ちゃんは今どこにいるのかなあ」と唐突に話の筋とは関係のないことを言っていたことを思い出した。
だけどあのときのわたしは、久しぶりにシンイチと電話で話をしたことに気をとられていて、それがあまり重要なこととは思わなかった。
「よければおあがりください。そして主人に会ってやってください」
そう言って美津子さんは、今日はじめての、だけど弱々しい笑顔をみるとわたしを家の中へ促した。

歩くと少しきしむ木の廊下の先にある、畳の部屋に正治さんはいた。毛布を胸元までかけ、庭に面したガラス窓のそばの座椅子に深く座り、そこから見える空をぼんやりと見ていた。あたりには、空のお菓子の袋が散乱している。美津子さんはそれを片付けながら、「お父さん」と声をかけた。
正治さんはゆっくりとこちらを向くと、わたしを見て「こんにちは」と、確かに電話で聞いたものとおなじ声で言った。
「あら、お父さん。今日はご機嫌がいいんですね」
「新しい人?」
「いいえ。この方はヘルパーさんじゃないんですよ。東京からきた友部さん」
「東京?そんな遠いところから。ああ、そう」
やはり正治さんは、わたしと電話で話をしたことを覚えていないようだった。
「友部さんは順子のお仕事関係の方なんですって」
「順ちゃんの?なあ母さん、そういえば順ちゃんはどこにいったんだ。また迷子になったのかなあ」
正治さんが不安そうにソワソワしはじめた。
「順子はもう何年も前にお嫁にいって、ここにはいませんよ。迷子になんてなってませんよ」
「そうだったかなあ。でもきっと夜から雨が降るよ。濡れていたらかわいそうだよ」
「お父さん。順子が迷子になったのは、あの子が小学生のときですよ。それにあのとき、順子はちゃんと帰ってきましたよ」
それはよくかわされる会話なのか、美津子さんは少しも動じず、穏やかに答えた。
正治さんは、それでも納得できないのか、しばらく下を向いて何かブツブツと言ったかと思うと、ふいにわたしの方を向いて、
「あなたもね、早く帰ったほうがいいよ。お父さんもお母さんも心配しているから」
と、叱るように言った。
つづく...
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