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Vol.19 迷子

  広島から東京に戻ってきた次の日の月曜日。わたしはプロジェクトメンバーの前川さん、アヤコちゃん、ケイスケに、杉浦さんの家でのことを報告した。
「まあ、そういう事情じゃ仕方ないな」
  前川さんが渋い顔で言った。
「すいません。わたしがちゃんと事前に確認をしておくべきでした」
「でも、杉浦さんが電話に出たときは普通と変わりなかったんですから、そんなのわからなくて当たり前ですよ」
  そうアヤコちゃんがフォローしてくれたけれど、シンイチとのことに気をとられていたわたしの不注意には変わりはない。わたしは気まずい思いで下を向いた。

「授賞式に杉浦さんのお父さんを呼ぶことができない以上、それに変わるなにかを考えないといけないなあ」
  前川さんの言葉に、わたしたちはほぼ出来上がっていた進行表をにらんで考え込んだ。すでにクライアントや外注先に、企画の内容を説明して了承を得ているため、内容の大幅な変更は難しい。それは、すでに積み上がっていた積み木の一つを抜き取り、崩さないよう同じようなカタチの積み木をまた当てはめる作業と似ている。

「そうだ」
  ふいにケイスケが弾んだ声を出した。
「『感謝の贈り物』って企画意図はそのままにして、中身だけ変えましょうよ。確か杉浦さんには小学生の娘さんがいましたよね。その子に、お母さんへの感謝の手紙みたいなものを書いてもうらうってのはどうですか?」
  それを聞いて、前川さんが少し考えわたしのほうを見た。
「そうだなあ。ちょっと安直な気がしないでもないけど...」
  その視線は、それでもいいか?とわたしに確認していた。

  本来この企画は、インタビュー記事の中に垣間見えた杉浦さんの父親への思いが根拠になって出来上がったものだ。だから同じ親子関係でも、父親ではなく子供とになると、わたしがもともとやりたかったことから大きくはずれてくる。だけど、イベントの開催がもう再来週に迫っている今、わたしのこだわりだけでこのプロジェクトを停滞させるわけにはいかなかった。

「流れを大幅に変える必要もなく、代替案として現実的でいいと思います」
  わたしがそう言うと、ケイスケは嬉しそうな顔をした。
「よし。じゃあその方向で諸々修正しよう。さあ、今日からまた忙しくなるぞ」
  前川さんがみんなを鼓舞するように大きな声で言った。


  前川さんの宣言通り、その週はクライアントや外注先への説明、台本の書き直し、スケジュール調整などで目のまわるような忙しさだった。そして金曜の夜になってやっと落ち着いてきたので、わたしとアヤコちゃんは今週いっぱいの労をねぎらうために飲みにいくことにした。

会社の近くにある、デートだったら決して使わないような気取ったところがどこも無い居酒屋。お客はスーツ姿のサラリーマンの集団か、女性の二人連ればかりだった。

「もう今日は飲んじゃおう!」「乾杯!」
  ハードな日々のあとは、ビールが何倍もおいしく感じる。おつまみには、出し巻き卵やコロッケや枝豆など、店内の雰囲気と同じく気取らないものを注文した。

「せっかくだからケイスケ君もくればよかったのに」
  仕事の忙しさから解放されて、のびのびとした様子でアヤコちゃんが言った。
「一応声かけてみたんだけど、まだ仕事が残ってるんだって」
  今ごろイベント会場の座席リストをチェックしているはず。わたしは来週でも間に合うと言ったのに、どうしても仕事を前倒しで片付けたいからと言って聞かなかったのだ。

「それって絶対リコさんのためですよ。いいとこ見せようと頑張っちゃって」
  アヤコちゃんがおもしろがって言った。
「そんなことないわよ」
  ケイスケとわたしをくっつけようとする会社内での定番ネタを、わたしはいつものように受け流した。

「ねえ、リコさん。本当のところはケイスケくんのことをどう思ってるんですか?」
「どうって、別になんとも思ってない」
「でも最近のケイスケくん、以前に比べてしっかりしてきたと思いません?ちょっと男として見直したとか」
「そうかなあ。あんまり興味ないわね」
  のらりくらりとかわすわたしに、アヤコちゃんは「つまらないのー」とがっかりしたふりをすると、二杯目のビールを注文した。

「まあでも、もし本当に付き合うにしては年齢がちょっと違いすぎますよね」
  悪気なく言ったアヤコちゃんの言葉に、別にケイスケと付き合いたいとは思っていないのに少し傷つく。わたしは30歳でケイスケは24歳。確かに歳が離れすぎていると思う。
「リコさんは結婚願望とか無いんですか?」
  またもや、何気ない一言に傷つく。わたしは別になんとも無いという顔をして笑った。

「もちろんあるにはあるわよ。でも今は仕事が楽しいから、まだまだ先でいいかな」
  うそだ。わたしは結婚をしたいと思っている。それもただ結婚がしたいというより、シンイチと結婚がしたいと思っている。だけど、残念ながらそうなる可能性は今のところまったくみえてこない。なのに諦めきれずに、自分にとってもっとも満足できる幸せを今も求め続けている。

  もし単純に結婚そのものを望むのならば、シンイチとの未来を諦める必要があるのだろうか。少し考え、そしてすぐにそれを打ち消すように、グラスのビールを飲みほした。


  2 時間ほど、ひとしきり飲んでしゃべったわたしたちは、最後においしいデザートが食べたくなり、この場所からほど近いケーキがおいしいことで有名なカフェに行くことにした。そのお店に行く途中、酔っていつもより饒舌になったアヤコちゃんが、ふいにわたしの耳元でささやいた。

「ねえ、リコさん。あれってあきらかに不倫カップルですよね」
  わたしは好奇心にかられ、アヤコちゃんの視線の先を見ると、なにやら不釣り合いなカップルがこちらに向かって歩いてきていた。
  男のほうは小太りで頭は薄くなっていて冴えない風貌。女のほうは小ギレイなファッションをしていてスタイルもよく美人。それが誰かに似ているなと思いしばらく見ていると、はっきりと顔が見える位置まできてやっと誰だかわかった。

「チサキちゃん...」
  それはチサキちゃんと、不倫相手のノブくんだった。
「あら、リコじゃない!」
  チサキちゃんもわたしに気付いたようで、軽やかに手をあげると笑ってわたしたちのほうへ近づいてきた。

  アヤコちゃんが、不倫カップルの女性のほうがわたしの知り合いだということを知って、「ごめんなさい」と小声で気まずそうにあやまった。わたしも小声で「いいの、大丈夫」と言った。

「こんなところで偶然じゃない。ねえ、このあと時間ある?せっかくだからみんなで飲みに行こうよ」
  どうやらチサキちゃんはかなり酔っているようで、少しもつれた口調で唐突なことを提案した。
「あの、リコさん。わたし、明日早いので帰りますね。それじゃあ失礼します」
  空気を読んだアヤコちゃんが、チサキちゃんたちに軽くお辞儀をして帰っていった。

チサキちゃんはその後姿を、表情のない顔でしばらく見ていたが、ふいに所在無さげにしているノブくんのほうを振り返ると、
「ねえ。わたしはこれから久しぶりに会った友達と飲みにいくから、ここでバイバイね」
  と、決め付けるように言った。

「なに言ってるの、チサキちゃん。彼に悪いわよ、そんなの」
「ううん、いいの。ね、大丈夫よね?ノブくん」
「あ、ああ。うん。もちろんいいよ」
  ノブくんはおどおどした様子でそう言うと、まるでチサキちゃんの保護者のようにわたしにぺこぺこと頭をさげた。

チサキちゃんはそんなノブくんにかまわずどんどん先に歩き出してしまったので、わたしは仕方なくその後をついていった。後ろから、「また電話するよ」という声が聞こえたが、チサトちゃんは返事をしなかったし、まったく振り返りもしなかった。


  近くのバーに入ったわたしたちはカウンターに座り、わたしはキールを、チサキちゃんはジントニックを注文した。そしてしばらくぶりに会ったわりには簡単な挨拶で乾杯をした。

チサキちゃんは自分から誘ったというのに不機嫌な顔をして何もしゃべらなかった。今日のチサキちゃんはまるで子供のようだ。それはきっと、さっきまでノブくんと一緒だったからだろうと思った。

「このあいだマサキに会った」
  それで仕方なくわたしのほうから、沈黙を埋めた。マサキのことを話題にしたのは、会ってすぐに身体の関係をもった二人のことを、やはりまだ心のどこかで軽蔑していたからだ。
「知ってる。マサキに聞いた。広島までついていったんでしょ」
  チサキちゃんは、まったく興味がないといった様子で、グラスの中の氷を指で突付いた。

「チサキちゃんはマサキのことをどう思っているの?」
「身体の相性はいいかなって思ってる。でもただそれだけね」
  先日、広島のホテルで「オレのほうが遊ばれてる」と言ったときの、マサキの自信無さげな横顔を思い出した。

「付き合いたいとは思わないの?」
「まったく思わないわね」
「それはやっぱりノブくんのことを愛しているから?」
「わたしが?ノブくんを?」
  チサキちゃんは一瞬、心底びっくりしたという顔でわたしを見ると、今度はこらえきれないように笑い出した。

「やだ、そんなわけないじゃない」
「そうなの?」
「そう。ただ一緒にいるのはとても心地いいから、そういう意味で好きなだけ。それにノブくんはああみえて、やっぱり奥さんのことが一番大事なのよね。そういう男として単純なところも気にいってる」
  奥さんのことを一番大事にしている既婚者と一緒にいて心地いいだなんて、人の価値観はまったく違うのだなと思う。わたしだったらそんな不安定な付き合いは、絶対にしたくない。

「そんなの悲しくないの?」
「悲しい?とんでもない。彼氏だからって束縛されたりするより、よっぽどましよ」
  そう言うと、チサキちゃんは前のほうをキッと見据えた。
「わたしは自由でいるのが好きなの」
  だけど自由が好き、と言っている割にはどこか辛そうにみえた。本当にそうなのだろうか。自由というより、それはまるで...

「迷子みたい」
  おもわず口にしてしまった。
「なんなの?それ」
  チサキちゃんの目にかすかに怒りの色が浮かんだ。わたしはこの瞬間、チサキちゃんを傷つけてしまったのだと気がついた。
  つづく...

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