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Vol.2 年下の男

  家から電車と徒歩で約30分、階ごとに違うオフィスがはいっているビルの2階にある、運営を総合的に請け負う会社でわたしは働いている。およそ20人くらいの小規模な会社だが、そのぶん責任のある仕事をまかされたりするのでやりがいはある。給料も30歳の女性にしては、もらえているほうだと思う。よってこの仕事にたいする文句はほとんどない。あるとすれば会社のまわりに専門学校が多いということだろうか。

 というのも、お昼休みが最悪なのだ。昼食をとるために外に出ると必ず、専門学校生の若者が集団をつくって、コンビニかファーストフード店に向かっているところにでくわす。たいてい彼らは狭い道路を幅いっぱいに占領し、全員が友達に自分の話を聞いてもらおうと無駄に大きな声でしゃべり、たいしておもしろくもない話に大笑いしたりしている。

 この昼間のいっとき、学校という窮屈な空間から解き放たれたのがよっぽど嬉しいのだろうか。自分の心身が健康なときならば、若くて元気がいいなあくらいにしか思わないのだが、今はそうではない。シンイチを忘れられず、つねにウツウツとした気分をかかえている今のわたしには、勘にさわる不愉快な存在でしかない。

 かつてのわたしも二十歳前後のころは、あんなかんじだったことを棚にあげていることはもちろんわかっている。それでも今日もわたしは、ノー天気、うるさい、きらい、と心の中で文句を言いながら、彼らが絶対にこないような少し高めのカフェでランチをとった。


  昼食をすませオフィスに戻ったわたしは、自分のデスクに置いていあるカードスタンドの中に、なにやら見慣れないメモがはさまっていることに気が付いた。手にとって見ると、小さい字でメッセージが書かれていた。
「短い髪、似合ってますね by ケイスケ」と。

 わたしはおもわずため息をつくと、社員全員の予定がかかれているホワイトボードを見た。そして、ケイスケのところが「外出中」になっているのを確認すると、メモをくしゃくしゃにしてゴミ箱に投げ入れた。別にケイスケのために髪を切ったわけではない、余計なお世話だ。

 ケイスケは、わたしより六つ年下の24歳。会社の中では一番の若手で、素直な性格と子犬を思わせるような笑顔でみんなにかわいがられている。そしてわたしに恋している。どうしてそれがわかるのかといえば、態度があからさまだからだ。

 仕事中やたらとわたしのほうをちらちらと気にしていたり、なにか話しかけると心底嬉しそうな顔をしたり。あからさますぎて、わたしだけでなく会社のみんなが知っているほどだ。おかげで会社の飲み会などでは、みんながひやかしながらケイスケをわたしの隣りに座らせようとするようになってしまった。

 あまり社内の人間関係を悪くしたくないので、いつもみんなのひやかしやケイスケのアプローチをあいまいにやりすごしているのだが、はっきりいって迷惑でしかない。決して悪い子ではないのだが、なぜかケイスケのわたしにたいする特別な感情を感じるたびにうんざりとした気持ちになる。きっと、好きでもない男に好かれる息苦しさに付け加えて、ケイスケのあまりにも子供っぽすぎるところも、さらなる不快感を増長させる原因なんだと思う。

  ようするに、昼間の専門学校生にたいする思いと同じなのかもしれない。ノー天気、うるさい、きらい。だったら心身が健康になれば、シンイチのことが忘れられれば、ケイスケを受け入れられるようになるんだろうか。ためしに想像してみた。このわたしが、シンイチではない別の男、六つも年下の男と付き合っているところを。

 少し考えてすぐ結論にいきついた。ありえない。気持ち悪いとすら思ってしまった。やっぱりケイスケではだめだ。あんな社会人として半人前のくせに、仕事場でわたしのような年上の女に恋愛感情をもっているような男では。そうやって頭の中でケイスケを全否定すると、その比較対照として当然のようにシンイチのことが頭に浮かんできた。


  シンイチの仕事にたいする姿勢は、ケイスケとは比べものにならないくらいストイックだった。
 同棲をはじめたころと時期を同じくして、シンイチの働くアパレルメーカーは急成長しようとしていた。そこで広報をしていたシンイチは、よく会社でこなしきれなかった分を家に持ち帰ってきては仕事をしていたものだ。

 一言もわたしと会話をかわさず深夜までパソコンに向かい、朝早く会社に行くことがしょっちゅうあった。でもそんな姿を頼もしいと思ったし、売り上げが順調にのびてきたというシンイチの報告を聞くたびに、わたしは自分のことのように誇らしい気持ちになったものだ。

 だけどそんなわたしの余裕も最初のうちだけだった。わたしよりも仕事を優先しているシンイチの態度に、だんだん不満や寂しさを感じるようになってしまったのだ。そして二人の未来をリアルに考え出してしまった。もしかして結婚しても、わたしはずっとほったらかしにされてしまうのではないか、と。そして不安は新たな不安を生んだ。そのまえにシンイチは結婚そのものを考えているのかと。

 一度不安にとりつかれた女は最悪だ。要求して、責めて、不機嫌になって、泣いて。どうしてあんなふうになってしまったんだろう。もっとシンイチの仕事を応援してあげていればよかった。そうしたら二人の結末はもっと違ったものになっていたのかもしれないのに。そう思ったとたん、胸がしめつけられるように苦しくなった。そしてそれはやってきてしまった。
「会いたい」という強烈な思い。


  わたしは携帯とタバコを手に持つと、オフィスの一角にある喫煙所にむかった。そして、シンイチと別れてからまた吸いはじめたタバコに火をつけると、携帯をひらいて緊張で震える手で文字を打ちはじめた。

 6ヶ月前に別れたシンイチとは長いことメールのやりとりをしていない。別れてすぐのころはわたしからは何度か送っていたのだが、シンイチから返事がくることはなかったのだ。そのことにすごく傷付いたが、今思えばわたしにも非はあった。というのも送ったメールの内容が、別れを認めたくないばかりに重くて感情的なものばかりだったからだ。

 でも最後にわたしがメールを送ってから、もう4ヶ月くらいたっている。そろそろシンイチも心を開いてくれているころかもしれない。だからお願い、このメールに返事をして。そんな祈るような思いでつくったメールの文章を読み返してみた。

『お久しぶりです、リコです。最近は、お仕事は落ち着きましたか?以前は、あなたが忙しかったことを理解してあげられなくてごめんなさい。あれからいろいろ考えて、自分はすごくわがままだったなと反省しています。それにわたしにとってあなたは本当に大切な存在だったんだなってことに気付きました。もしよければ今度、会う時間つくってもらえませんか?』

 少し考え全文を消した。やっぱり内容がまだ重いし、もしこれで返事がこなかったらきっと立ち直れない。やっぱり無視されてもへこまないくらいのあっさりしたものにしようと思い直し、文章を打ち直す。

 『どうも!元気にしてる?よかったら今度ご飯とかどう?おいしいイタリアンのお店見つけたんだー』

 このくらいかるい感じだったら返事がしやすいと思ったが、すぐに馴れ馴れしすぎるかもと心配になった。久しぶりにきたメールがこれじゃあ、ひかれてしまうかもしれない。もっとさりげないものにしよう。

『久しぶり。元気ですか?』

 うん。いいんじゃない?このメールをきっかけにして、何度か楽しくやりとりすれば昔のようにいい雰囲気になれるかもしれない。お願い、シンイチ。このメールみたらどうか返事をして。そしてわたしと過ごした日々を思い出して。

  そんな祈るような思いで送信ボタンを押そうとしたとき、背後で「お疲れ様です」という声がしたので、わたしは驚いておもわず携帯を落としそうになった。いつの間にかすぐ後ろに、得意先から帰ってきたらしいケイスケが立っていたのだ。おかげでメールを送信しそびれてしまった。

「ああ、びっくりしたー。少しくらい気配を感じさせてよ」
「いや、さっきも声かけたんですよ。でも携帯に夢中で気付かなかったみたいで」
 ケイスケはイライラするわたしに申し訳なさそうに言い訳すると、さらにとんでもないことを言ってきた。

「あの、リコさん。今度の日曜はなにをしてますか?」
「なんで?」
「これ。映画のチケット、さっき会ったお客さんからもらったんですけど」
「だから?」
 おもわず冷たい口調になってしまったが、それでもケイスケはひるまなかった。

「一緒に行きませんか?」

 わたしはまるで不思議なものでも見るかのように、ケイスケの顔をまじまじと見てしまった。
一大決心でシンイチにメールを送ろうとしていたところを邪魔したあげく、得意先からもらった映画のチケットでデートに誘うだなんて。普通、ちゃんと自分のお金で買わないかなあ。一体、24歳の男ってどういう神経してるんだろう。
 あまりに飽きれてしまったため、拒否の気持ちよりも好奇心が勝ってしまった。

「いいわよ」
 なかば挑戦するかのように、わたしはケイスケの誘いを承諾していた。
 シンイチへのメールは結局送らなかった。
  つづく...

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