Vol.22 リハーサル
いよいよイベント当日。横浜の会場では10時の開場に合わせ、朝早くから着々と準備が進められていた。
まだ客のはいっていない薄暗い客席には、わたしを含め進行全体を管理するスタッフがところどころに立ち、これまで台本上だけでは見えてこなかった細かい部分をチェックするために、本番と同じ流れで進んでいくリハーサルを見守っている。
もしなにか変更したほうがいいところを見つけた場合、まずイベントの総指揮者である舞台監督に報告をし、そして舞台監督からそれぞれのスタッフに指示が伝えられる。大勢のスタッフに情報が正しく行き渡らせるために、そのような連絡系統ができあがっているのだ。
わたしがイベントの仕事をはじめたばかりのころ、リハーサル中はいつも不安や緊張を感じていた。それは落下する高さまでゆっくりと登っていくジェットコースターに乗っているときの感覚と似ているかもしれない。本番に向けてもう後戻りができないことが、より強い不安や緊張を生んでいた。
だけど経験を重ねるごとにそんな気持ちはなくなっていき、リハーサルにもより集中できるようになっていった。とくにきっかけはなかったが、簡単に言うと慣れたんだと思う。
以前、この変化を前川さんに言ったところ、「友部さんもだんだんとイベントのプロらしくなってきたんだね」と言われた。それでわたしは、イベント本番当日は感情をおさえ冷静でいることの大切だと学んだのだった。

だけどどうやらそれを実践できるのは、仕事にかぎった話らしい。
なぜなら今のわたしは、まるで新人のころに戻ったように不安や緊張のまっただ中にいたからだ。原因はこのあとのイベント本番のせいではなく、イベントが終わったあとにシンイチと会うことにあった。
再会した二人はいったいなにを話すのか、それはどんな雰囲気なのか、はたしてライブを見るだけなのか、そのあと食事にでも行く流れになるのか。
なにか自分の失態で、シンイチの機嫌をそこねるようなことをしてしまったらどうしよう、と考えてしまう。せめてシンイチとの会話の台本があればいいのに。あるいはリハーサルでもできれば。もちろんそれはありえないことだけれども。
予測のつかない少し先の未来ばかりを考え、リハーサルに集中できずにいたところを、ふいにだれかに肩をたたかれた。ふりかえると、それはケイスケだった。

「リコさん。受賞者登場のタイミングなんですけど...」
ケイスケの言葉にわたしはあわててステージのほうを見ると、今は表彰式で表彰される受賞者たちが、ステージ上に登場するところのリハーサルの最中だった。
「音と照明が、微妙にずれてませんか?」
よく見てみると、確かに受賞者の代役をしているスタッフがステージ中央に登場したときに鳴る音と、照明が当たるタイミングが少しだけ違っている。それは普通の人だったら絶対に気付かないほどささいなずれだった。
「ちょっと確認してみる」
わたしはステージ袖にいる舞台監督にトランシーバーで状況を説明した。するとわたしの父親と年齢が同じくらいだと思われるイベント経験が豊富な舞台監督をはじめ、スタッフの誰もそのミスに気付いていなかったようで、「こんな細かいところに気付くなんて優秀だね」と言われた。
ほんとうに気付いたのはわたしじゃない、と思ったが、わざわざそれを伝えるのも変なので、あいまいに笑ってトランシーバーの通話をオフにした。
「ありがとう。見逃すとこだった」
ケイスケにお礼を言うと、ケイスケはステージを確認するようにしっかりと前を見すえたまま、「いいえ」と返事をした。舞台からの照明に照らされて、その横顔が精悍に見えた。
「緊張する」
わたしはおもわず小さい声でそう言った。ケイスケは今度は少し驚いたようにわたしのほうを見て、「珍しいですね」と言った。正面から見ると、ケイスケはやっぱりいつものケイスケだった。
「大丈夫ですよ。きっとうまくいきます」
わたしがうまくいってほしいのは、イベントのことではなくシンイチとのこと。そんなわたしの胸のうちなど知る由もないケイスケは、わたしの弱音を聞いてどこか嬉しそうな顔をしていた。

リハーサルが終わると次に、受賞者として舞台にあがる人たちへの段取り説明が行われた。ステージ上では各箇所に受賞者を誘導するスタッフが配置されてはいるが、一応ひととおりの流れを把握しておいてもらうのだ。
営業成績優秀者として表彰されるのは、全国の支店から集まった30人。その中には最優秀者の杉浦順子さんもいた。段取り説明が終わり、緊張した面持ちで受賞者たちの中にいた杉浦さんが、わたしとケイスケを見つけて会釈をした。
「杉浦さん、大丈夫ですか?緊張してます?」
ケイスケが声をかけた。
「ええ、大丈夫です」
そうはいっても、言葉とはうらはらにその表情はかたかった。
「こんなにたくさんの人の前に出るなんて、なかなかないことだから緊張しますよね」
そうわたしが言うと、表情が少しだけやわらいだ。
「ええ。それに今日は娘が手紙を読んでくれるでしょう?ちゃんと驚いた演技ができるかどうか心配で」
受賞の際、娘のアカネちゃんから感謝の手紙が読まれることは、イベントの構成上、杉浦さんは知らないことになっている。だからといって大げさな反応をされると、見ている人も興ざめしてしまうだろう。
「演技しなくてもいいですよ。あまり意識せずに自然にアカネちゃんからの気持ちを受け取ってください」
そんなケイスケの言葉に、杉浦さんはやっとホッとしたような笑顔をみせた。
「そうね。こうやって普段思っていることを子供から聞けるなんて、めったにない機会ですもの。あまり構えずに楽しむことにするわ」
杉浦さんの笑顔を見ながら、わたしは広島にいる杉浦さんの父親、正治さんのことを思い出した。今も混濁した意識の中で、娘が小さかったころのことを思っているのだろうか。伝えられるものなら、あなたの娘さんは迷子なんかじゃない、こうして立派に成長して成功をしている、と言いたかった。
「やはり納得がいかないですか?企画の内容が変わって」
わたしの表情が暗くなったことを心配してか、あとからそっとケイスケが聞いてきた。納得はしていないが、それは仕方のないこと。わたしは自分に言い聞かせるように首をふった。

そしていよいよ本番。派手な映像や音楽、照明の中、今回のイベント主催者である保険会社の代表取締役が登場して、開会式がはじまった。客席は全国から集まった社員で埋め尽くされている。わたしはケイスケと一緒に、会場の最後部でステージを見守っていた。
開会式がおわり、次のプログラムであるセミナーがはじまって数分後、ポケットの中でマナーモードにしていた携帯が震えた。素早く携帯を確認すると、ディスプレイにチサキちゃんの名前が表示されている。しばらく連絡をとることもないと思っていたので、一体なんの用事だろうと気になったが、もちろん私用の電話には出るわけにはいかないので、留守電に切り替えるとすぐに電話は切れてしまった。
わたしはあとから折り返し電話をかけようと思いながらも、イベントやシンイチとの再会などがあって、次にチサキちゃんの携帯から電話があるまで、わたしはチサキちゃんのことを忘れてしまっていた。
つづく...
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