Vol.23 思わぬ事態
イベント開始時間が近づくにつれ、この日のために全国から集まった参加者で会場が活気付いてきた。保険会社のスタッフは女性が多く、みんなきれいに着飾っており全体の空気が華やかだ。
ロビーのあちこちでは、年に一度このイベントでしか顔をあわせる機会のない人たちが、人の輪をつくって話に興じている。そんな彼女たちが、イベントがはじまるまでに速やかに自分の席につけるよう、会場入り口付近に立って目を配るのがこの時間のわたしの仕事だった。
「リコさん、ちょっといいですか?」
前川さんと一緒に受け付けで案内補佐をしていたはずのケイスケが、いつのまにかわたしのそばにきて話しかけてきた。
「どうしたの?」
ケイスケがなにか言おうとしたとき、チケットを手にもったひとりのお客さんがわたしたちに近づいてきた。
「この席にはどういったらいいですか?」
わたしはその女性を席まで案内しながら、いまから数時間後にはシンイチに会っているはずである自分のことを考えていた。

イベントがはじまってしまえば、わたしたち運営側スタッフにはやることがあまりない。それぞれが会場の目立たないところに待機して、プログラムの進行を見守るくらいだ。ところが前半のセミナーが終わり、表彰式がはじまってしばらくしたとき、おもいがけない事態がおきた。
それはちょうど、営業成績優秀者たちが壇上にあがってそれぞれが賞状をもらい、最後に成績最優秀者である杉浦順子さんが華々しいスポットライトとともにステージに登場した瞬間だった。腰にさげた連絡用のトランシーバーにつながるイヤフォンから、ケイスケの性急な声が聞こえてきた。
『リコさん。お父さんと電話がつながりましたよ!』
とっさになんのことを言っているのかわからなかった。
『杉浦さんのお父さん、正治さんですよ。』
すぐにあのうらさびしい和室の部屋で、うつろな目をして遠い記憶の中に生きる正治さんの姿が浮かんだ。
「どうして正治さんに?」
わたしはトランシーバーに口元に近づけ小さな声で聞いた。
『以前、リコさんが正治さんに電話をしたとき、認知症をわずらっている人だとはとても気付かなかったって言ってましたよね。それがどうしても気になって、もしかしたらと思ってさっき電話をしてみたんです。本当は相談してからにしようと思ったのですが、言うタイミングが無くて』
イベント開始直前、ケイスケがわたしになにか伝えようとしていたのは、これだったのかと思った。
『奥さんが留守だったので正治さんが出たんですが、思ったとおり話し方もとてもしっかりしていてちゃんと意思疎通もできました。こちらの依頼にもこころよく応じてくれたんです』
次々と出てくるケイスケの思いがけない言葉を、あたまがフル回転で理解しようとしていた。
「ちょっと待って。依頼ってなに?」
『もちろん、電話で順子さんにお祝いのコメントをしてもらうことですよ』
「冗談でしょう!?」
おもわず大きな声が出てしまい、近くの客席に座っていた人が数人ふりむいたので、すぐにわたしは声をひそめた。
「そんなの無理よ。電話ではしっかりしているように感じても、正治さんがどんな状態なのか、わたしは実際に会って見てきたんだから」
『どうして電話で話すときだけ大丈夫なのか、ボクにも理由はわかりません。でも、やってみる価値はあると思いませんか。だってこの企画はもともと、順子さんとお父さんのためのものじゃないですか』
ステージ中央に掲げられたスクリーンには、満面の笑みで社長から表彰状を受けとっている順子さんが映し出されていた。リハーサル通りすすめば、このあと杉浦さんの小学3年生の娘さんが登場して母親への手紙を読む。もし本当に正治さんにコメントをしてもらうなら、このあとに間に合うように今すぐ流れを組み立てて、舞台監督に迅速で的確な指示をする必要があった。
『リコさんだって本当はそうしたかったんじゃないんですか?』
このまま表彰式を無難に終わらせるか、本来目指したかったものにするか、おもわぬ選択をつきつけられてわたしは迷った。
「どこにいるの?」
『副調整室です。携帯を音声ラインにつなげば会場に声が流れますよ』
「今すぐいく、待ってて!」
わたしはいそいで会場を出ると、副調整室のある二階まで駆け上がった。

副調整室に入ると待ちかねたように、ケイスケが持っていた携帯電話をわたしに差し出した。その場にいた音声スタッフ数人が、ことの成り行きを見守るようにわたしに注目をした。
「もしもし、正治さんですか?友部リコといいますけど...」
『ああ。以前、電話をくれた人だね』
その声は落ちついていて、とてもしっかりとしていた。わたしはおもわずケイスケの目を見ると、ケイスケは大きくうなづいた。その瞬間イベンターとして誇りがわたしに決断をさせた。
「このままお電話で、順子さんへのお祝いコメントをいただきたいんですけど、大丈夫でしょうか?」
『もちろん、娘のためなら喜んで』
信じられないという思いにひたる暇もなく、わたしはすぐに無線機をつかってステージ脇にいる舞台監督に連絡をとった。
「すいません。このあと杉浦さんへのサプライズゲストをもう一人いれたいんですけど」
『どういうことだ?娘のほかに誰かいるのか?』
副調整室にあるスタジオをうつすモニターには、ちょうど杉浦さんの娘さんが手紙を持ってステージに登場したところが映されていた。幼い彼女のはにかんだ笑顔に、会場から温かい拍手がわきおこった。
「杉浦さんのお父さんからのお祝いコメントを入れてほしんです。今電話がつながっています」
『そんなこと急に言われても無理に決まってるじゃないか。台本にないことをリハーサル無しでやることのリスクは、君が一番よく知ってるだろう』
もちろん、今わたしがやろうとしていることは、数ヶ月にわたって計画してきたことを、たった一瞬で台無しにしてしまう危険性をはらんでいる。だけど成功したら長くすれ違った親子の時間を取り戻せるかもしれないのだ。
「杉浦さんのお父さんは認知症をわずらっているんですが、電話で話すときはその症状が出ないみたいなんです。お願いします!順子さんとお父さんに、本当の親子の会話をさせてあげてください」
『そう言われても、できないものはできないよ』
情にあつく親分肌気質な舞台監督が、困ったような声を出した。
すると、わたしたちのやりとりを黙って聞いていたベテランらしき音声さんが立ち上がると、わたしに無線機を渡すよう手で合図をした。
「監督さん」
『その声はトクさんか?』
どうやら二人は、なじみの関係らしかった。
「ずいぶん弱気なことを言うじゃねえか。どんな無茶な演出もやっちまうのがアンタじゃなかったのかい」
『おいおい、トクさん。余計なこと言うなよ』
トクさんは、この状況を楽しむように一瞬豪快に笑うと、スクリーンにうつった杉浦さんの姿を見て目をほそめた。
「オレの親父はさ。亡くなる最後のほうは完全にボケちまってたんだ。仕方ないことだってわかってはいたんだけど、やっぱりまともな会話ができなかったことが心残りでさあ」
そしてトクさんは、静かに打ち明けた。
「やっぱり最後は、親父にありがとうって言いたかったんだよな」
一瞬できた沈黙のあと、無線機の向こうから監督のやけっぱちぎみな返事が返ってきた。
『しょうがねえな。じゃあやってみよう』
トクさんはわたしのほうを見て、意味深げにニヤッと笑った。イベントに関わる裏方のスタッフには熱い男が多い。いまのやりとりを聞いて感化されたのか、となりでケイスケまで熱のこもった目をしていた。
つづく...
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