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トップ  >  見えないゴールを探して  >  Vol.25 困惑する女と決意する男

Vol.25 困惑する女と決意する男

  都内へ向かう電車の中、流れる景色を見ながらわたしはため息をついた。本当なら夕闇せまるこの薄紫の街並みを、もっとワクワクした気持ちで見ていたはずなのに。シンイチとの再会より、チサキちゃんのもとへ駆けつける選択が、自分にとって本当によかったのかおもわず自問してしまう。

  友達が倒れてしまったので病院に駆けつけたい言うと前川さんは、心配そうな顔ですぐに行ってあげなさいと言ってくれた。もともと適当な嘘をついて仕事を抜け出し、シンイチに会いにいこうとしていたことを思うと、その優しさに後ろめたさを感じた。そしてわたしは残りの作業をケイスケに引き継ぐと、いそいで会場を出て横浜駅へ向かった。

  電車に乗る前、緊張しながらシンイチの携帯に電話をかけてみると、留守番電話になったのでとっさに切った。今日の約束が果たせなくなった事情と、本当は会いたいという気持ちを、数秒のメッセージにこめることは不可能な気がしたからだ。そこでわたしはメールを送ることにした。

シンイチへ

突然で本当に申し訳ないんだけど
今日のライブ、行けなくなってしまいました。
実は友達が急に倒れてしまって、
これからお見舞いに行くことになったんです。

すっごく楽しみにしていたので本当に残念!
どうかシンイチだけでも楽しんできてください。
今度おわびにご飯でもおごらせてね。
それでは。


  何度か打ち直しては文章を確認してみる。大丈夫、これなら仕方ないと思ってくれるはず。それに、きっとまた会う機会をつくってくれる。わたしの選択は間違っていない。そう自分に言い聞かせると、これ以上シンイチに会いたいという気持ちがつのらないうちに、さっさとメールを送信した。



  わたしがチサキちゃんのいる病院についたとき、時刻は18時45分だった。シンイチとの約束は19時。それでもシンイチからは、さっき送ったメールの返事がまだ届いていなかった。もう一度電話をしてみようか迷ったが、今つながったらなにか言い訳がましいことや重たいことを言ってしまいそうな気がしたので、わたしは電源を切って病院の中に入った。

  事前にノブくんから聞いていた部屋番号をたよりにチサキちゃんを訪ねると、設備のととのった個室でチサキちゃんはひとりベッドで横になっていた。この部屋のお金はきっとノブくんが出しているのだろう。

「ノブくんが電話したんでしょ」
  チサキちゃんは窓のほうを向いたまま、無表情で天井近くの一点を見たままぽつりと言った。わたしはベッド脇のクリーム色のいすに腰掛けた。

「大丈夫なの?」
「ええ」
  そう言ったきりチサキちゃんは黙ってしまったので、わたしから声をかけた。

「一体どうしたの?急に倒れたって、何があったの?」
  チサキちゃんは、うすいブルーの病院服からのぞく細い手で、前髪をうっとうしそうにかきあげた。

「聞いてみたらバカみたいな話よ。わたし妊娠してたの」
  わたしは「え?」と驚いたまま、言葉に詰まってしまった。そして本当ならこんなとき「おめでとう」と言うべきかもしれないと思った。

「最近あんまり体調がよくないなって思っていたんだけど、とうとう今日の昼間、貧血をおこして倒れてしまったのよ。それでひととおり診察してもらったら妊娠発覚というわけ。もう、まいっちゃうわね」
  そんなことをチサキちゃんはさらっと言ったので、本当に困惑しているのか、それとももっと違う感情がわいているのか、よくわからなかった。

「父親はノブくん?」
「うん、そう」

「ノブくんはなんて言ってるの?妊娠してること」
「できるかぎりのことはするって。でもあんな人、全然あてにしてないけどね。自分でなんとかするつもり」
  そう言うとチサキちゃんは思い出したようにクスッと笑った。

「今日もね。倒れたわたしを病院まで運んでくれたのはいいんだけど、お医者さんが妊娠してるって言ったとき、それはもう取り乱しちゃって。そこらへんをウロウロしながら、ずっとおかしいなあ、しいなあって言ってるのよ。まるで動物園のクマみたいに」
  あの人のよさそうなノブくんの困惑した顔が目に浮かび、わたしもつられておもわず頬をゆるめた。

「ノブくんから倒れたって聞いたとき、一体どうしたんだろうって心配したけど、思ったよりも元気そうでよかった」
「そうね。全然平気よ」
  だけどチサキちゃんは言葉とはうらはらにうつむき、しばらく黙っていたと思ったら、手で顔を覆い肩をふるわせて泣きはじめてしまった。

「チサキちゃん」
  わたしは夜のバーで、「迷子じゃない」と言って突然涙をこぼしたチサキちゃんを思い出した。
「大丈夫。大丈夫だから」
  なんの根拠もなかったがそう言った。やはりチサキちゃんは、道に迷った迷子のように誰かの助けを必要としているのではないだろうかと思ったら、胸が痛んだ。

「だって、いきなり妊娠だなんて」
  チサキちゃんは嗚咽をこらえ、やっとそれだけ言葉にした。
  そんなチサキちゃんを見てわたしは、今日シンイチに会えなかったことは残念だったが、こうしてチサキちゃんのそばにいることができて、よかったのかもしれないと思った。



「どうするの?産むの?」
  わたしはチサキちゃんが落ち着くのをまって肝心なことを聞いてみた。
「まだわからない」
  チサキちゃんは赤い目をしたまま首をふった。もし産んだとしてもひとりで育てるのは大変だろうな、そう思った瞬間マサキのことを思い出した。

「ねえ、相手はマサキっていうことはないの?」
「それは絶対にない」
  チサキちゃんはきっぱりと否定した。

「どうしてわかるの?」
「どうしてもよ」

  そのとき病室のドアがなんの予告もなしに突然開き、誰かが部屋にとびこんできた。
「チサキ!」
  それはマサキだった。ここまでいそいできたのか息が乱れている。

「どうしたの?なんでここがわかったの?」
  チサキちゃんが驚いたように訊ねた。

「電話がかかってきたんだ。チサキが不倫しているあのおっさんから」
  それを聞いてチサキちゃんが、信じられないというようにため息をついた。

「もうなんなの、あの人。勝手にわたしの携帯を使って、リコだけじゃなくマサキにまで連絡してたの?ほんと迷惑な人なんだから」
「オレの子なんだろ?」
  たたみかけるように言ったマサキの言葉は確信に満ちていた。

「違うわよ」
「なんで否定する?もうわかってるんだ」
「だから違うってば!」
「あのおっさんが言ってたよ。自分は無精子症だから子供ができるはずないんだって。そしてそれはチサキも知ってるはずだって」

  それはどうやら図星だったらしく、チサキちゃんは黙ってしまった。わたしは二人のやりとりを、あっけにとられて見ていることしかできなかった。するとマサキはベッドのそばにかがみこむと、チサキちゃんの手をとり堂々と言い放った。

「チサキ。オレと結婚しよう!」
  つづく...

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