Vol.6 一本の電話
突然かかってきたシンイチからの電話。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。できることといえば、鳴り続ける携帯を見つめることだけ。時間にしたらほんの数秒。どんな行動にもうつせないまま、わたしはただ鳴りつづける携帯を握り締めていた。
すると着信メロディがふいに止み、ひとりきりの部屋にもとの静寂が訪れた。そこではじめてわれに返った。わたしは途端に、電話に出なかったことをはげしく後悔した。
せっかくわたしのことを思い出してくれたのに、今連絡をとらなかったらまた忘れられてしまう。今すぐ折り返しの電話をしたほうがいいだろうか。でもなんて言おう。
『さっき電話くれたよね?どうしたの?久しぶりだね、元気にしてた?』
こんな感じでいいかな。それとも、もっとそっけないほうがいいかな。ああ、もう。そんなことはいいから早く電話をかけないと。
そのとき、手の中でまたさっきと同じ着信メロディが流れてきた。もう一度シンイチから電話がかかってくるとは夢にも思わなかったので、心臓がはねあがる。早くリコと話がしたい、まるでそうシンイチから催促されているようで、今度はもう何も考えず反射的に通話のボタンを押した。

「もしもし。シンイチ?」
緊張して声が震えてしまった。動揺していることがばれないようにしなくちゃ。深呼吸しながらシンイチの言葉を待った。気まずい沈黙が流れる。
「あの、ごめんね。すぐ電話に出られなくて。ちょっと手がはなせなくって」
もしかして怒っているのかと思って、ついそんなことを言ってしまった。それでもしばらく受話器の向こうからは、なにも聞こえてこなかった。
『もしもし』
やっと何か言ってくれたと思ったら、小さくて聞きとりにくかったがそれはあきらかに女の声だった。どういうこと?一瞬わたしには、何がなんだかわからなかった。
『あなた、シンちゃんの元カノだよねえ』
敵意を含んだ低い声色。不躾な話し方。わたしは今聞いた言葉を頭の中で反芻した。「シンちゃんの元カノ」。
「あなたは誰ですか?」
わたしのことを元カノと言い、シンイチのことをシンちゃんと呼ぶこの電話の相手に、徐々に怒りがわいてくる。
『あたしはシンちゃんの今カノなんだけど』
全身から血の気がひいていく。たちの悪いいたずら電話ではないのか。だけどそうじゃなかった。突然電話をかけてきたシンイチの彼女だと主張する女は、次々と驚くべき事実をわたしに告げた。
『昨日の夜、シンちゃんに電話してきたでしょ。何度も何度もしつこく』
「え?!昨日の夜?」
『しらばっくれないでよ。あたし、その時そばにいたんだから。シンちゃん、すごい迷惑そうにしてたよ』
そんなことをした覚えはまったくない。それに昨日の夜は、チサキちゃんたちと飲んでいたはず。だけど、お店から戻って今日起きるまでの記憶が無い。まさかそのときに酔っ払ったいきおいで?
『もう別れて半年たつんでしょ。そういうことやめてくれる?あたしたちの邪魔しないでよ』
ためらいもなく、悪意につつまれた言葉が投げつけられる。普通じゃない。どうしてそこまで言われなければいけないのだろうか。
『シンちゃんに聞いたんだけど、あなたもう30歳なんだって?いい大人なんだから、みっともないことはやめたら?』
シンイチが新しい彼女に、わたしのことをどういう風に伝えているのかがわかった。許せない、最低の男。

『じゃあ。言いたいことそれだけだから』
「待って!」
おもわずそう叫んだ。多分わたしは、シンイチがどこまで最低な男なのか確かめたかったのだ。
「それ、シンイチがそう言えってあなたに言ったの?だからこうしてシンイチの携帯から電話してきたの?」
わたしは受話器の向こう側を想像した。新しい彼女とシンイチが、携帯から漏れるわたしの声を聞きながら笑っている姿を。
「そこにいるの?シンイチ。だったら直接言えばいいじゃない!女に言わせるなんてどうかしてる、最低!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。怒りの感情がおさえられなくなって涙が出てきた。
『シンちゃんのことを悪く言わないでよ!シンちゃんは電話しろなんて一言も言ってない!』
新しい彼女はムキになってシンイチのことをかばった。
「じゃあ、なんでこれシンイチの番号からかかってきてるのよ!」
『シンちゃんは優しいから、はっきり言えない人なの。だからあたしがいろいろやってあげないとダメなの』
そんなの答えになってない、そう言おうとしたとき、勝ち誇ったように彼女が言った。
『あたしたち今、一緒に住んでるんだよね。結婚する約束だってしてるんだから』
そして一方的に電話は切れた。決定的にわたしを打ちのめす言葉を残して。

怒り、驚き、悲しみ、いろんな感情が一気に来すぎて、しばらく何も考えられずに呆然としていた。いったいなにが起こったんだろう。その原因は?わたしはゆっくりとした動作で携帯の発信履歴を確認した。確かに昨日の深夜、三回もシンイチに電話をかけた証拠が残っていた。そうか。やっぱりかけたんだ。それも三回も。
でも。だからってはじめて話す相手にむかってあまりに失礼な言い草じゃあないだろうか。声や話し方からして若い女だという感じがした。押し付けがましい束縛の強い女。シンイチもそんな女を彼女にするなんて信じられない。いや、そもそも本当に彼女なんだろうか。あの女が嘘をついているだけかもしれない。
だけど、今の電話は確かにシンイチの携帯番号からかかってきた。これはいったいなにを意味するんだろう。あの女がシンイチが出かけているすきに、携帯を勝手に使える立場にいるということだろうか。じゃあ一緒に住んでるっていうのは本当のこと?そして結婚する約束をしているってことも?わたしとの結婚には背を向けて逃げ出したくせに。
シンイチと復縁できることを信じてずっと耐えてきた。どんなに連絡をしたくても、沈黙しなくちゃと自分に言い聞かせてきた。だけどそのあいだにシンイチは、すでに新しい彼女をつくっていた。
どうしてこうなってしまったんだろう。おもわずわたしは自分の身体を抱きしめた。だって誰も自分をささえてくれないから。男友達も女友達も、そして昔の男も、みんなわたしを置いてどんどん先にすすんでいく。
そして、わたしはひとり、孤独の中に取り残されてしまった。そう思った瞬間、涙があとからあとからあふれてきた。
つづく...
|
Vol.5 苦い夜 |
見えないゴールを探して |
Vol.7 クリスマスイブ |








