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トップ  >  見えないゴールを探して  >  Vol.9 都合のいい男

Vol.9 都合のいい男

  東京駅への到着を告げる車内アナウンスを合図に、わたしはそれまで読んでいた本を閉じた。新幹線は徐々にスピードを緩め、故郷のお土産を手にした人たちで混雑している駅のホームに滑り込んでいく。

 心なごませる人たち、父親や母親、高校時代の友達とは遠く離れたこの地で、またわたしはひとりで生きていくんだ。そう思ったら、冬休みの間に実家ですごした数日間が、もうずっと過去の出来事だったかのように感じはじめた。

  新しい年のはじめにはいつも思う。今年こそ。今年こそわたし自身の幸せのゴールを見つける。そのためにはシンイチへの未練がましい想いの中にとどまっている暇はない。時間は止まってはくれないのだ。まだまだ心は思い出したように痛むことはあるけれど。

  ドアが開き外の冷たい空気にふれると、気持ちがよりいっそう引きしまった。わたしはひさしぶりの都会のスピードに体を慣らすために、構内をせわしなく行き交う人々の歩調に合わせて、地下鉄に続く通路を力強く歩いた。


  仕事始めの朝礼で、社長が長々と熱弁した内容を要約すると、「この不況をチャンスに転換させよう」ということだった。

もともと大きな広告代理店会社でイベントプロデューサーとして確固たる地位を確立したあと、独立してこの会社を立ち上げ、もちまえの人脈と求心力でクライアントから仕事を数多く獲得してきたやり手の社長には、世界的不況にも影響を受けないという前向きな自信があった。

  朝礼の途中、わたしは数日ぶりにあったケイスケの顔をチラッと見てみた。ケイスケは目をキラキラさせながら社長の話を聞いていた。もうすぐ50 歳になろうとするのに年齢よりもずっと若々しく覇気のあるこの社長にたいして、ケイスケは社会に出たての若者特有の青くさい尊敬の念を抱いているのだ。それを見てわたしは、相変わらず子供っぽい、と心の中でヒンヤリと批評した。


  お昼になり、昼食をとるために会社の外に出ると、どこか町の雰囲気が違っていることに気が付いた。いつもなら、そこかしこにたむろして、どうでもいいおしゃべりをくりひろげている専門学校生たちが、今日は一人もいないのだ。

きっとまだ冬休みなのだろう。いつもこんなふうに静かだったいいのにと思いながら、いきつけのカフェに向かっている途中、わたしの携帯に一通のメールが届いた。それはマサキからだった。

『今日、会える?』

  たったそれだけしか書いていないメールを見て、おもわずいったいどういう意図で送ってきたのか訝しんだ。
  というのも、わたしは年末にかかってきたマサキの電話に、今日までとくに折り返しもしていなかったからだ。そのことについて何か言いたいことがあるのだろうかと思った途端、感じなくてもいい罪悪感を感じ、そんなふうに思わされたことにたいして不快感でむねがいっぱいになった。

  そもそも軽々とわたしの友達と寝るようなことをしたマサキが悪いのだ。しかも、前置きも何もなく「会える?」と聞いただけで、わたしが予定を空けると思っているところに、ふてぶてしさを感じる。

マサキは昔から、多少強引でも自分のやりたいことを主張し、まわりを巻き込みながらものごとをどんどんと押し進めるところがあった。今まではそれを、友達としてはたから見ているだけだったから気にならなかったが、今回は事情が違う。

  なんでも自分の思う通りになると思ったら大間違いだ。そんなのは、価値観が同じで共犯者になってくれるチサキちゃんのような人か、従順に自分に従ってくれるマサキの彼女のような人と、やっていればいい。結局わたしは、ただ不愉快にさせるだけのマサキからのメールを無視することに決めた。


  その日の夕方。わたしは会社の会議室で、次に担当するイベントの社内プロジェクトメンバーと、打ち合わせをしていた。
  イベントの内容は、とある生命保険会社の営業成績優秀者表彰式で、プロジェクトメンバーは、わたしとケイスケ、それから、この業界ではかなりのベテランで、去年社長に引き抜かれてこの会社に入った前川さんと、わたしよりも5つ年下で25歳のハキハキと明るくて元気のいいアヤコちゃんの合計4人。

  打ち合わせの議題は、どうしたら予算を抑えられるか。というのも、毎年このイベントはうちの会社が企画運営を請け負っているのだが、やはり昨今の不況の影響で、去年より予算を抑えた見積もり書を提出するようにと言われていたのだ。そしてこの4人で、クオリティとそれにかかる費用のバランスをどうとるか話し合っていたとき、わたしの携帯が鳴った。携帯のディスプレイを見るとそれはマサキからだった。

  こんなに執拗に連絡をしてくることは、これまでのわたしとマサキの関わりから考えるとあまりに不自然だ。もしかしたら、なにか早急に伝えなければいけない用事があるのかもしれない。そう思ったわたしは、本来ならば仕事中に私用の電話には出ないのだが、他の3人に少しのあいだ席をはずすとことわりを入れると、鳴りつづける携帯をもって会議室から出た。


 「もしもし」
『なんで無視するんだよ』
  わたしの言葉が終わらないうちに、マサキの不機嫌な声が覆いかぶさってきた。
「なんなのよ、いきなり。仕事中よ」
  つられてわたしも不機嫌になった。

『わかってるだろ』
「昼間のメールのこと?べつに無視したわけじゃないわよ。いそがしかったの」
  わたしは話しながら、廊下の突き当たりにある非常口のドアを開き、非常階段の踊り場に出た。ここならうっかり会社の人たちに電話の内容を聞かれる心配はない。

『メールだから、すぐ返せるだろ』
「わたしにはわたしのペースがあるんだから仕方ないでしょ」
  マサキの勝手な言い分に、怒りがこみあげてきた。

『リコさ。この間から、オレのこと避けてないか?』
「どうしてわたしがそんなことをするのよ」
  実際には避けてはいたが、そんなことをとやかく言われる筋合いはない。やはり電話には出るんじゃなかったと後悔した。

『怒ってるんだろ。オレがチサキと寝たことを』
  チサキ。そのなれなれしい呼び方にいやらしさを感じた。

「別に怒ってない。ただ飽きれてるだけよ」
『うそだ。怒ってる』
  こんな会話は子供じみている。わたしはこれ以上話しても時間の無駄だと判断した。

「じゃあそれでもいいわよ。で、いったいなんなの?なにか用?」
『なんだよそれ。そんな言い方はないだろ』
「用事がないなら切るわよ」
『待てよ。とにかく話をしよう。今日暇じゃないのか?』
「チサキちゃんと寝たことの言い訳をしたいわけ?そんなの、自分のかわいい彼女に言いなさいよ。わたしが聞く話じゃない」

  マサキはたぶん言葉を選んでいるのだろう。しばし沈黙がながれた。

『冷たいな』
「別にわたしが冷たくしようと、マサキには関係ないでしょ。わたしはマサキの彼女じゃないし、きまぐれにベッドをともにする相手でもない」
『関係ないなら、なんで距離をおく?オレはそういう態度をとられるのが大嫌いなんだ』
  いい大人が自分の都合で、人を非難してコントロールしようとするなんて信じられない。

「どうしてマサキが怒ってるのよ」
  いい加減にして、と声を荒げたくなるのをかろうじて抑え、静かな口調でこたえる。

『わからない』
「都合のいい言葉ね」
『そう、オレは都合がいいんだ』

  その言葉を聞いた瞬間、わたしは決定的に頭に血がのぼって、おもわず電話を切った。
  ちゃんと付き合っている彼女がいるうえに、こともあろうかわたしの友達と簡単に寝て、そのことを不快に思うわたしを非難して、それらすべてを「自分は都合がいい」などという言葉で開き直ってしまうなんて、なんて自己中心的な男だ。だったら、自分が都合よくいられる世界にずっといればいい。もう二度と関わり合いになるものか。

  心の中でマサキと決別することを誓っても、ムカムカした気分はおさまらず、わたしは非常階段の踊り場でしばらく日が暮れかけた薄暗い空を仁王立ちでにらんでいた。
  つづく...

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